父の日にネクタイとか絶対いらない。欲しいのはいつもの「〇〇」
父の日のプレゼントは、いつも飲んでる『R1(飲むヨーグルト)』が嬉しい。
成人した娘から「父の日だから」と、もし高級ブランドのネクタイを渡されたら・・・僕は喜べない。
なぜか「父の日はネクタイ」みたいな風潮、ありますよね?
ショッピングセンターに行くと、もうすでに父の日の売り出しが始まっていて、そのチラシには「父の日」の文字と共に、かなり高い確率で『ネクタイ』の写真が映ってます。
でも、僕がネクタイをする日なんてのは、法事の時ぐらい。
そんな僕がカラフルなネクタイ貰ったとしても、全く使う機会がありません。
だから、ネクタイは絶対いらない。
そういう話をすると、必ずこう言われるんです。
「使うとか使わないじゃなくて、大事なのは感謝の気持ち」
って。
これがめっちゃ気にくわない。
もちろん、その気持ちはありがたい。
でも、「感謝の気持ちがあれば、あげる物はなんでもいい」ってわけじゃないと思うんです。
自分がプレゼントしたいものを渡して、”感謝”と表現するのはどうなのか?と。
感謝するなら、もっと真剣に相手が喜ぶものを考えるべきなんじゃないのか?と。
父の日にネクタイが選ばれるのって、イメージが良いからなのかな?
プレゼントする方からすれば、「父の日、なにあげたの?」という問に「ネクタイあげたよ」って会話はたしかに美しい。
僕はいつも飲んでる『R1(飲むヨーグルト)』とか貰えたら嬉しいんですが、「父の日にR-1あげたよ」とかだったら、全然キラキラしないもんな。
あげた本人が感謝してる気にならないのかも。
あと、「貰ったものは使わないといけないプレッシャー」ってありますよね?
このプレッシャーもきつい。
使わないと申し訳ない気持ちはあっても、やっぱり気に入ったものじゃなきゃ使えない。
もし娘から、
「せっかく買ったのになんで使ってくれないの?」
なんて聞かれて、
「大事なものだから使えないんだよ」
なんてウソを付くことが正しいとは思えないんです。
大事なものでも、気に入れば普通は使うよ。
別に「父の日にちゃんとしたプレゼントが欲しい」と言ってるわけじゃないんです。
僕が「父の日のプレゼントなんて要らないよ」って言えば、本当に要らない。
「父の日にR-1が欲しい」と言えば、本当にR-1が欲しい。
その思いが伝わらず、広告や宣伝に流されて、なぜ本人の思いと違うプレゼントがされてしまうのか?
その感じにモヤモヤする。